ランニングシューズとの出会い

今は色を失ってしまったナイキのシューズが、かつて色鮮やかだったのはアメリカの大学のイメージカラーを採用していたからである。単に見た目でキレイというだけでなく、そこに意味がある、というのがカッコよく見えた理由かもしれない。

制服を着ることのない今は、よほどミスマッチでない限りどんな色のスニーカーを履いていても構わないのだが、かつて一日の大半を学生服を着て過ごしていた頃は、ベルトの色や色鮮やかなスニーカーを履くことが楽しくて仕方がなかった。

だからその頃は、特に好きなブランドというわけでなく、靴屋の店頭で気に入った靴を選んで履いていた。アメリカ製のナイキは、当時でも平気で1万円を越える値札がついていたが、友人の間では「スニーカーの寿命は1000円1ヶ月説」というのがまかり通っていた。安物の靴は長持ちしないけれど、高い靴はちゃんと長持ちするので、トータル金額は同じになる、というものである。

人と同じスニーカーを履くのが嫌で、学校でアシックス・タイガーが流行っているのを横目に、ブルックスやエトニークのスニーカーを買って喜んでいた記憶がある。ちなみにエトニークなんて誰も知らなくて、唯一知っていたのは有名自転車メーカーの社長の息子だけだった。

そんなスニーカー生活を送っていた中、ついに運命のスニーカーに出会うことになる。オレンジ色のナイロンに金色のスウォッシュが眩しく輝く「エキデンレーサー」である。