■談合が悪いことだと思っているのは、市民団体の活動家くらいのものだとでも思っているのだろうか。経団連のトップを務めるトヨタの社長やら会長やらが、談合はなくならないと思いますがなどと、まるで談合を認めるような発言をするのは(一つの見識として頷く部分もないではないが)如何なものかと思う。
 東京地検特捜部が日本道路公団発注の鉄鋼橋工事に関する捜査に乗り出した。地検が独自に捜査に踏み出したのか、裏で政府から後押しがあったのかはわからない。交通事故の取り締まりが、ただの見せしめではないかと思われるように、東京地検の捜査もどことなくそれに近いものを感じる。高速道路の鉄鋼橋工事で談合があるのだとすれば、同様にコンクリート橋や道路建設についても同様に談合が行われてきたことは間違いないだろう。鉄鋼橋工事談合捜査から他の工事に広がりを見せるのか、それとも捜査はここで打ち切られて、コンクリート橋や道路建設の談合は自粛に向うのか或いはさらに隠密化されて続くのかわからない。それは今後の発注工事の落札価格と予定額との差額を較べればはっきりするだろう。
■悪いものを悪いと断罪できないのは何故なのかわからない。例えば現在クボタ尼崎工場の元従業員や地域住人へのアスベスト被害が認められた。人に深刻な健康被害をもたらすアスベストは、既に生産は禁止されているものの、既に在庫している製品の使用は禁じられていない。施工主が自らアスベスト製品を希望するとは思えないが、施工主にわからなければ在庫を使ってもお咎めがないというのは理解に苦しむ。或いは作業の安全性が確立されていて、使用しても扱い方さえ間違わなければ安全は確保されるということなのかもしれない。或いは既に市中には今更使用を規制しても意味がないほどに、広くアスベストが使われているということなのだろうか。
 いずれにしても、それで大丈夫なのかという疑問は残る。