「遺書」がありながら小学6年の女児の自殺に関していじめがあったことを認めようとしなかった北海道滝川市教育委員会の問題に続いて、福岡県筑前町では自殺した中2男児の自殺に関して中学1年当時の担任がいじめを助長するような言動をしたことが報道で大きく取り上げられています。
 遺族の真実を知らせて欲しいとの求めに応じる形で、学校が生徒にアンケート調査を取るなどしていじめの実態や原因の追求を行なったことは評価して良いと思います。ですが自殺の原因であるいじめの責任を追及する報にばかり接していると、いつの間にか自殺したこと自体が肯定されているかのような錯覚を起こしてしまいます。
 アイドルの自殺報道など過剰な自殺報道が少年少女の自殺を助長させることがあります。ですので今回の自殺報道でもそれが懸念されます。さらに今回のように教育委員会や学校の責任追及のようなことが行なわれると、現在いじめに遭って窮地に追い込まれてる少年少女が、遺書を残して自殺することがいじめに対する有効な報復手段になり得ると考えてしまうのではないでしょうか。
 学校でいじめがあった場合、学校はそれに気づき手立てを行なわなくてはならないのかもしれません。けれどもそれと同等か或いはそれ以上に、家族もそれに気づいて手立てを行なっても良い筈です。また自殺をした本人が命を粗末に扱ったことや家族や学校が命の大切さを教えてこなかったこと(無論その責任は学校よりもずっと家族が大きいと思うのですが)は褒められたことではないし批判されてもおかしくないと思うのですが、死者を鞭打ち遺族を批判するようなような言動がマスコミを通じてなされることはありません。
 それはいじめられる側や家族には何の瑕疵もないということかもしれませんが、いじめがあるということから自殺を行なうということには大きな飛躍があり、学校でいじめに遭い自殺を考えながらもそれを思い留まる少年少女は自殺した少年少女の何倍も何十倍もいる筈だからです。
 だとするとマスコミはいじめの原因追求に血道をあけるよりは、如何にしていじめられないようにするかという智恵やいじめに遭った時にどう対処するか、またいじめられて生きていく意欲を失った時にも自殺すること以外に今の生き方をやめてしまって他の生き方を選択するという方法について真剣に検討し広く知らせていかねばならないのではないか、というように思います。


いじめは良くない
けれど自殺はそれ以上に良くない
ということをもっと声を大にして言わないと、死線上にいる子どもたちを救えないと思います。