ekiden_racer2007-11-01

北海道に還るためには後がない日ハムはポストシーズン3勝負けなしのダルビッシュを立てて必勝体制、本拠地ナゴヤドームでの日本一を決めたい中日は川上でなくポストシーズン初登板の山井でした。中4日で川上には無理をさせないと言うことか、それともダルビッシュとの対決回避なのか、それとも川上以上に山井の調子が良いと見込んだのか、いずれにしてもこの中日先発の選択はオレ竜采配が第5戦にどういう影響を落とすか大変興味深いところです。
山井投手は今シーズン14試合に登板6勝4敗の成績ですが、2004年西武と争った日本シリーズ第4戦でも6回まで無得点に抑える好投を見せ、勝利投手になったのが印象に残っています。
山井・ダルビッシュともに初回を三者凡退と好調に立ち上がった2回裏、中日はウッズ・中村紀が連続安打で無死2・3塁のチャンスを迎え、7番平田が犠牲フライで先制します。ダルビッシュは7回までこの1失点で11奪三振を奪う力投を見せましたが、それ以上に圧巻だったのが山井でした。
初戦スリーランを打たれてから川上憲伸は以降21人の打者をパーフェクトに抑えましたが、山井は初回からパーフェクトピッチングを続けます。点差は僅か1点ですが、8回まで24人の打者を連続して抑えたとき、それまでは判官贔屓で日ハムを応援していたのですが、山井投手が史上初日本シリーズでの完全試合達成かと胸が躍り、山井投手の9回を楽しみに中日の攻撃が終わるのを待ちました。
ところが驚いたことに9回のマウンドに上がったのは岩瀬でした。この落合采配は信じがたいものでした。山井は8回まで86球、8回でも直球は140kmを越え不安を全く感じさせないだけでなく、完全試合継続中です。今シーズンも一度、完投もしています。いくら抑えの切札が岩瀬だとしても、これは試合の流れさえ変えかねません。
1989年8月12日、中日の4番落合は9回1死までノーヒットノーランピッチングを続けていたジャイアンツ斉藤雅樹からサヨナラ3ランを打ったことがあります。これは打者出身の落合監督ゆえの采配なのでしょうか。落合の前監督である山田・星野であればどうだったでしょう。ちなみに1971年日本シリーズ第3戦、8回までジャイアンツを無得点に抑えていた阪急のエース山田は、9回王貞治にサヨナラ3ランを打たれました。
結果的に岩瀬は9回、日ハムを3者凡退で切り抜け、パーフェクトリレーで中日ドラゴンズに悲願の53年ぶりとなる日本一をもたらしました。結果的に落合采配は的中したということになるのでしょう。それにしても中日の投手交代の決断については興味が残ります。落合監督は優勝会見では「山井はいっぱいいっぱいだった」と述べ、フジテレビすぽるとに出演した際には「(山井に)マメができたと聞いて(交代に)迷いはなかった。それがなければ迷っていた」と述べました。私はふと、時代は違いますが1959年南海ホークス杉浦忠投手がジャイアンツ相手に血豆が破れボールを血に染めながら四連投四連勝した逸話を思い出しました。マメというのは一種の故障かもしれません。私は現場にいたわけではないので、それが続投を断念せざるを得ないほどのものだったのかどうかは判りません。ただ結果的に打たれて敗れた斉藤雅樹も山田久志も、そうした経験を期に大投手へと飛躍していきました。どのような理由があれ山井投手には行けるところまで、落合監督は投手の尻を叩いてでも投げさせて欲しかったと思います。