■工業製品が必ずしも仕様通りの性能を出せるわけではなく、現場の人間なら個体特有の癖のようなものがあることを知っています。JR福知山線で脱線し死者一〇七人を出した二〇七系車両の快速電車に用いられたの編成も、運転士が所定位置に止めることが難しかったと言われています。その原因を綿密に追及すればどこかの部品に不具合があったのかもしれません。けれども通常運転に差し障りが出るほどの不具合でなければ、恐らく点検も修理もされないことでしょう。
 今では高見隆二郎運転士が起こした脱線事故は、単にカーブ区間で速度を大幅に超過したということだけでなく、同列車が福知山線のダイヤの中でももっとも運転時刻に余裕のない最速列車であったことや、JR西日本がダイヤの遅れを秒単位で報告させるという徹底したダイヤ順守管理を行っていたことが知られており、さらにオーバーランなどのミスを犯した運転士には日勤教育と呼ばれる懲罰的指導が行われるといった構造的な要因が事故を引き起こした背景にあると考えられています。
 航空会社のパイロットが非常に強い労働組合が発言権や実行力を持っているのに対し、JR西日本の運転士にはそうした自分たちの身分を保護するような制度はなく、数十秒の遅れを出しただけで制裁が待ち受けているような非常に窮屈な職場環境だったようです。今回の事故は突き詰めて考えると、単純な運転士の資質に関わる操作ミスでしかなかったとしか思えないのですが、運行を司る会社にしてみれば誤操作があっても事故を防ぐことのできるATS−Pというシステムや、運転士の資質を検査する体制を用意しなくてはならないということになるのでしょう。だからといって安全のために最新式のATS−Pを備えていない路線の運行を停止するわけにはいきませんし、運転士の資質検査にしても限界があることは最初からわかっています。
 日本原電の放射能臨界事故にしても、雪印乳業の毒素加工乳にしても、三菱自動車リコール隠しにしても、関西電力原発配管破裂事故にしても、全ては法人としての会社の意向と現場の意向とのずれが引き起こした重大な事件・事故です。JR西日本も安全を最優先していると言うのですが、安全というのはできて当然と考えられており、生産量や費用効果、スピードなどが細かく競われる中で厳しく評価される一方で、安全は評価の対象にしづらいものです。また、システムとしての安全性は、それが機能したことで未然に危険を防いだのか、それとも単に危険な事象が起こらないままでいるだけなのかがわかりにくく、実際に事故が起きないと何が安全システムとして有効で、何が必要なのかということが見極められないのです。