2002年に愛知県岡崎市で起きた女子大生殺人事件の犯人が逮捕されました。犯人は当時17歳の少年で、現在は20歳になっています。大変驚かされたのは、犯人の父親が息子が犯人であることには薄々気づいていたとテレビカメラの前で話していたことです。殺人現場には遺留品としてサンダルが残されていましたが、父親は息子のサンダルの件について問い質したことがあったそうです。息子は汚れたから捨てたと答えました。父親はその答えに納得したわけではないようですが、兄弟から息子を信じてやったらどうだと言われて、息子の疑いはぬぐい去ることができなかったものの、それ以上追及することをやめたというのです。父親は「そう言われれば息子を信じないわけにはいかない」と苦しい胸中を語っていました。しかし息子が犯人のようだと感じていた父親は、現場に差し掛かる度に被害者に向かって手を合わせていたといいます。息子は高校卒業後一旦就職しますが、教員になるために大学を受験して合格し、今は大学生になっていました。

家族である以上自分の子どもを殺人犯だとは思いたくないという心情については理解できます。しかし当時未成年である少年の保護者としての役割について、父親はそれを途中で放棄したと言わざるを得ません。息子は殺人を犯したかもしれないが、現在は更正しているようだし、このまま15年が経過して時効になれば、息子は事実がどうであったにしても晴れて無実となり、何事もなかったように平和に暮らしていけるのではないか、と期待していたのかもしれません。或いは人を疑うということは良くないことだというような奇妙な倫理観の持主であったのかもしれません。
しかしメーカーが明かされている遺留品のサンダルは息子が所有していたものであり、事件が起きた時期にたまたまそれを捨てたということを本当に信じることができたのでしょうか。父親の追及は兄弟の助言によって中断されたことになっていますが、父親はどうしてそれ以上息子と向かい合うことをせず、息子が犯人であるという疑いを確信に近いものにまで昇華させながらも、その思いを自分の中に仕舞い込もうとしていたのでしょうか。このとき父親は保護者という役割を放棄して、殺人者の父親として生きていく決心をしたのかもしれません。ただしそれを逮捕されて刑事裁判を受けたり社会的に制裁を受けたりすることなく、時効が訪れることを期待しながら過ごそうとするのはあまりにも身勝手ではないかという非難を免れません。
また自分が若い息子たちの父親という被害者の親と共通する境遇にあるにも関わらず、この父親は凶刃に散った女子大生の無念さや遺された家族の悲しみについての思考を停止させて、自らを加害者の家族であるという立場から逃れようとしています。そして現実的にも、息子を追及するなり問い質すなりして事実を把握して自首させていれば、息子の罪を軽減させることもできたのですが、彼はそうしませんでした。
結果的に父親は単に加害者の家族として社会的な制裁を受ける以上に、自ら息子の犯罪を隠蔽した人間としての誹りまで受けることとなりました。或いはそうした誹りは、加害者の父親として同じように罪を受けるということになり、むしろ彼に一種の安らぎを与えることになるのかもしれません。
しかしそうした彼の姿は、息子の罪は自分に関係がないものとして突っぱねた宮崎勤の父親や宅間守の父親を想起させます。そうした保護者としての父親の役割を放棄する態度というのは、殺人者を作り出した家庭に特有のものなのか、それとも父親としてはむしろ普遍的なものなのかが気がかりに思われます。