中国で反日運動が社会現象となったり、北朝鮮との拉致問題が解決への進展を見られないなど、日本のアジア各国に対する外交はあまり良い状況ではないようです。最近は東シナ海天然ガス田開発に関して、中国が採掘を始めたことも外交上の大きな問題になっています。
 中国政府が政府への批判を交わすために反日教育を進めた結果反日感情が拡大されたり、中国のエネルギー問題が深刻になりつつある中で天然ガス田開発に乗り出したことなど、その背景については理解ができます。また北朝鮮も経済的に脆弱であるために核開発を外交上のカードにせざるを得ない事情があり、拉致問題についても実質的な経済支援と引き替えでない限り、強硬姿勢を改めることに期待はできません。
 第二次大戦でアメリカに敗れた日本は、憲法で戦争の放棄を謳うようになりましたが、これは日本人の意図というよりもアメリカの意図でした。日本はそれまで、日清戦争日露戦争など、日本の発展のためには中国大陸を踏み台にすることを前提に国力を増してきました。戦後の民主主義教育と反戦平和思想のもとでは軍隊の再編成は悪いことであるとされ、自衛隊についても平和憲法の前では疑問視されてきました。しかしそれまでは中国進出は日本の悲願であり、軍隊や戦争が悪いことだとは考えられていませんでした。日本人にとって戦争が悪いことだと考えられるようになったのは、ひとえに第二次大戦で無謀な日米戦争を続けたために、本土に爆撃を受けたり原子爆弾を落とされたり、沖縄で市民もろとも玉砕してしまったからです。ですから戦争に敗れてすぐの日本人は、無謀な戦争は良くないと考えることはあっても、軍隊や戦争まで否定するつもりはなかったのではないかと思います。それをアメリカの対日研究の結果、天皇制のもとで狂信的な国家体制を作り上げた日本人のあり方を必要以上に恐れたために、軍隊や戦争自体を否定することをアメリカに押しつけられたのではないかと思います。アメリカは日本に軍隊の非保持と戦争の否定という憲法を押しつけておきながら自らは軍隊や戦争を否定しようとしませんし、日本の戦争礼賛の考え方に敏感に反応する中国も立派な軍隊を持っています。つまりアメリカや中国が否定しようとするのは「戦争に敗れた日本の軍隊」であり、何も軍隊を持たずしての平和な世界を実現しようとは全く思っていないのです。
 実際日本の反戦思想はその後、奇妙なねじれを見せます。朝鮮戦争を受けてのアメリカの方針転換により、日本に警察予備隊自衛隊がもたらされ、日米安保条約日米地位協定など、日本は現実的には軍隊を持ちながら、その一方で平和憲法は存在し続けます。自衛隊の存在や活動は憲法に違反すると判断されかねないため、ついには憲法自体を改正しようという動きが加速しています。こうした流れを大局的に見てみると、日本にもたらされた平和憲法というのは理念は崇高で素晴らしいものだけれど、方法としては誤っていたのかもしれないと思わざるを得ません。
 けれどその平和憲法のお陰で軍備という足枷が必要なく戦後の経済発展がもたらされたり、現実にその後日本が国際紛争に巻き込まれずに来れたことは評価されるべきことです。


中国で反日運動が社会現象となったり、北朝鮮との拉致問題が解決への進展を見られないなど、日本のアジア各国に対する外交はあまり良い状況ではないようです。最近は東シナ海天然ガス田開発に関して、中国が採掘を始めたことも外交上の大きな問題になっています。
 中国政府が政府への批判を交わすために反日教育を進めた結果反日感情が拡大されたり、中国のエネルギー問題が深刻になりつつある中で天然ガス田開発に乗り出したことなど、その背景については理解ができます。また北朝鮮も経済的に脆弱であるために核開発を外交上のカードにせざるを得ない事情があり、拉致問題についても実質的な経済支援と引き替えでない限り、強硬姿勢を改めることに期待はできません。
 第二次大戦でアメリカに敗れた日本は、憲法で戦争の放棄を謳うようになりましたが、これは日本人の意図というよりもアメリカの意図でした。日本はそれまで、日清戦争日露戦争など、日本の発展のためには中国大陸を踏み台にすることを前提に国力を増してきました。戦後の民主主義教育と反戦平和思想のもとでは軍隊の再編成は悪いことであるとされ、自衛隊についても平和憲法の前では疑問視されてきました。しかしそれまでは中国進出は日本の悲願であり、軍隊や戦争が悪いことだとは考えられていませんでした。日本人にとって戦争が悪いことだと考えられるようになったのは、ひとえに第二次大戦で無謀な日米戦争を続けたために、本土に爆撃を受けたり原子爆弾を落とされたり、沖縄で市民もろとも玉砕してしまったからです。ですから戦争に敗れてすぐの日本人は、無謀な戦争は良くないと考えることはあっても、軍隊や戦争まで否定するつもりはなかったのではないかと思います。それをアメリカの対日研究の結果、天皇制のもとで狂信的な国家体制を作り上げた日本人のあり方を必要以上に恐れたために、軍隊や戦争自体を否定することをアメリカに押しつけられたのではないかと思います。アメリカは日本に軍隊の非保持と戦争の否定という憲法を押しつけておきながら自らは軍隊や戦争を否定しようとしませんし、日本の戦争礼賛の考え方に敏感に反応する中国も立派な軍隊を持っています。つまりアメリカや中国が否定しようとするのは「戦争に敗れた日本の軍隊」であり、何も軍隊を持たずしての平和な世界を実現しようとは全く思っていないのです。
 実際日本の反戦思想はその後、奇妙なねじれを見せます。朝鮮戦争を受けてのアメリカの方針転換により、日本に警察予備隊自衛隊がもたらされ、日米安保条約日米地位協定など、日本は現実的には軍隊を持ちながら、その一方で平和憲法は存在し続けます。自衛隊の存在や活動は憲法に違反すると判断されかねないため、ついには憲法自体を改正しようという動きが加速しています。こうした流れを大局的に見てみると、日本にもたらされた平和憲法というのは理念は崇高で素晴らしいものだけれど、方法としては誤っていたのかもしれないと思わざるを得ません。
 けれどその平和憲法のお陰で軍備という足枷が必要なく戦後の経済発展がもたらされたり、現実にその後日本が国際紛争に巻き込まれずに来れたことは評価されるべきことです。