世の中の大多数の人は、自分とは無関係な人であり、大抵の場合はこちらから気に留めることもなければ向こうから気に留められることもなく、町なかの風景や背景のように、ただそこに在るということ以上の意味を持つことがありません。それでも極めて希に、自分に対して危害を加えようとする人がいます。自らその種を振りまいているという自覚があれば、予め用心することも備えることもできるのですが、中には誰ともなく無差別に危害を及ぼす人もいますから、日常生活の中で常に用心するということは難しいのかもしれません。今はのんびりとした地方都市で暮らしていますから、それほど緊張して毎日を過ごすことはないのですが、都会で生活していた頃にはどこでどんな災難に巻き込まれるかわからないと、普通に歩く時にも用心して足早に歩いていたことがあります。
 仮に、犯罪を犯す人が一万人に一人いるとすれば、人口一万人の町では犯罪を犯す人は一人しかいませんが、人口一〇〇〇万人の大都市では、犯罪を犯す人が実に一〇〇〇人もいて、辺りをうろついているかもしれないということになってしまいます。それでもそうした人に出会う確率は一万分の一に過ぎないわけですから、そんな一部の迷惑な人のためにいちいち用心するのは馬鹿げていると思うかもしれません。けれども実際に家の戸締まりなどを観察してみると、人口が一万人程度の町では玄関に鍵を掛けないのも平気で、家々の窓に雨戸が取り付けられていなかったりします。その一方で人口一〇〇〇万人の大都市では、玄関に複数の鍵をつけているだけでなく、モニターカメラが備えられ、夕方になると頑丈な雨戸が閉められ、塀の上には侵入者を防ぐために割れたガラスが埋め込まれていて、塀際の電柱には人が登れないように鉄条網のついた鼠返しがつけられています。交通の発達はそれまでほとんど犯罪の起こらなかった田舎にも都市型の犯罪者を流入させていると言われていますが、都会と田舎の防犯意識にはそれでも大きな開きがあると思います。確率は一万分の一でも、その分母の大きさの差がこの開きを生み出しているのかもしれません。
 東京都町田市の高校生による同級生の殺人事件は、犯人が日頃からそれとわかる奇行をみせていたり、犯行後に手に怪我をしたまま平気な顔をして登校したりしていたのですぐに犯人が逮捕されました。数年前東京で起きた一家惨殺事件であるとか、広島県大竹市で起きた女子高生殺人事件の場合は、被害者と無関係だった犯人が通り魔的に事件を起こしたためか、捜査が難航しています。日本の犯罪検挙率が高いと言われていたのは過去の話で、単に統計上の数値のからくりだという見方もありますが、衝動的に通り魔的な犯行の場合は、人を殺すほどの重大な事件であっても、犯行途中に被害者が逃げ出せたり目撃者がいない場合には、犯人検挙は難しいようです。