1990年1月18日、本島等長崎市長(当事)が市役所正面で右翼団体構成員に銃撃され、3ヶ月の重傷を負いました。本島市長は88年12月の市議会で天皇に戦争責任がある旨の発言をし、以降右翼団体による抗議活動・嫌がらせ・脅迫が相次ぎ、長崎県警の厳重な警戒が解除された矢先のテロでした。
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午後7時52分頃、市長選の遊説を終えJR長崎駅前の選挙事務所に戻ってきた伊藤一長長崎市長が、山口組系の暴力団員に銃撃されました。当初「意識不明の重体」とされていましたが、現在は「心配停止状態」と報じられています。
これまで市長と暴力団とのトラブルの報告はなく、警察も特に警備対象としていませんでした。長崎市長選は15日告示・22日投票で、4選を目指す現職に新人3人が臨む構図でした。対立候補の顔ぶれは共産党系の市議会議員・草の根運動の大学非常勤講師・選挙運動をしない主婦ですから、伊藤市長の四選が有力視される選挙戦です。従って選挙がらみのテロとも考えにくい状況です。
県警は犯行の動機を捜査中ですが、銃撃に先立ち、テレビ朝日に犯人から市長に抗議する旨の封書が送られていました。内容は「中小企業融資資金や市道工事の際のトラブル」と言ったもので、個人的な恨みとも受け取れますが、どこか取ってつけたもののような印象も受けます。この抗議を「犯行声明」とするにも到底受け入れ難い、腑に落ちないものです。抗議の手紙では銃撃の予告はなされていませんが、或いはこの抗議の手紙は銃撃の本当の動機を隠蔽する工作なのかもしれません。
動機が判らない時点で何を言っても始まらないかもしれませんが、銃撃を計画した犯人にしてみれば、選挙期間中というのは市民と接する機会が多いのでチャンスだと思ったのかもしれません。ですが選挙期間というのは今後4年間の市政を市民が誰に託すのかを選択する大切な時期です。犯人は単に長崎市長を銃撃しただけでなく、長崎市有権者数37万人余に対して銃口を向けた、ということになるのではないでしょうか。
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伊藤市長は18日午前2時28分、長崎大学付属病院で還らぬ人となりました。伊藤一長市長の遺徳を偲び、哀悼の意を表します。