宮崎吾朗氏のブログによると、宮崎駿は最初は初号試写には来ないことになっていたのが、急遽来ることになったとのことです。その初号試写で、駿は上映が始まって一時間ほど経ったところで中座してしまいます。
「気持ちで映画を作っちゃいけない・・・3時間ぐらい座ったような気がする。」
そして試写の後、ディレクターに向かって
「何を聞きたい?・・・僕は自分の子供を見てたよ。大人になってない。それだけ」
駿はゲド戦記スタッフである保田道世を会して、吾朗監督には
「素直な作り方で良かった」
と伝えましたが、番組ではその後、こう漏らす駿を映し出しています。
「初めてにしてはよくやったってのは演出にとって侮辱だからね」
「この1本で世の中変えようと思ってやんなきゃいけないんだから・・・変らないけど、そう思ってやるのが映画を作るってことだから」

番組を見た直後は、駿がクリエイターとしてゲド戦記の出来を酷評しているのか、それとも父親として息子に厳しいのか判断がつきませんでした。特に意味がつかめず、心に残ったのは「僕は自分の子供を見てたよ。大人になってない。それだけ」という言葉です。駿は映画に息子を見ていたのか、それとも試写会の席で前に座っている息子を見ていたのか(そんな意味で言った訳ではないと思うのですが)、どちらにしてもそれを「子供」という言葉にしたのです。
『子供』
映画「耳をすませば」(近藤喜文監督/脚本・絵コンテ宮崎駿)で、バロンの物語を読み終えた地球屋の主人に主人公月島雫が泣きながらこう言うシーンがあります。「私、書いてみて分かったんです。書きたいだけじゃダメなんだってこと、もっと勉強しなきゃ駄目だって…」
無論脚本を書いた宮崎駿が、自分の息子が後に自分と同じアニメーション映画を作ることを想定していたわけではないでしょう。何気なく、創作に対する宮崎駿の姿勢・考え方を主人公に語らせたのだと思います。けれども宮崎駿が後に息子に向かって言う言葉を、既に映画で語っていたのは驚きです。
さらに、この番組は次回作「崖の上のポニョ」に取り組む宮崎駿を捉えたドキュメンタリーです。新聞報道によると『主人公宗介のモデルは宮崎監督の長男吾朗氏(40)。吾朗氏が昨年「ゲド戦記」で映画監督デビューしたことを宮崎監督は「自分への反抗」ととらえ「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないために」と反省の気持ちを込めているという』とあります。
宮崎駿が中座せずにいられなかった初号試写で見ていた『子供』というのは、仕事ばかりで付き合っていなかった5歳の頃の吾朗だったのです。ただし駿監督がこの作品の構想を練ったのは2004年のことだと言います。宮崎駿は、長男の第一作監督作品を目の前にしながら、見ていたのは次回作である自分の映画の主人公である「大人になってない自分の子供を見てた」のです。不世出の映像作家宮崎駿は、全てを自分の作品を軸に考え、そして自分の作品で語るのです。
凄い。