25日午前8時ごろ、広島県三原市のJR山陽線で、3歳の女児が貨物列車にはねられ死亡するという事故が起きました。女児は一人で朝から家の外に出てしまったらしく、起床した家族が女児がいないことに気づき、探していたということです。3歳というと一人で出歩いてしまいますし、住居内でも階段からの転落や水の張られた浴槽内への転落などもっとも危険な年頃です。まず女児がむやみに外出しないよう戸締りに留意しなかった点が悔やまれます。
次に鉄道線路は自動車の走る道路と同様、危険を孕んでいます。それどころか、操舵装置がなく制動力の弱い鉄道は自動車よりも遥かに危険です。それでも線路脇に柵を設けることで線路内への立ち入りは防げます。ところが踏切は列車が接近してきても警報機で知らせたり竹ざおの遮断機が下りてくるだけですし、列車が来ないときには自由に立ち入りができるうえに線路内への立ち入りも簡単にできてしまいます。鉄道会社は踏切障害事故を防ぐために踏切内に障害物検知装置を備えたりという対策も行っていますが、数が多い踏切にはなかなかそこまでの対策は追いついていないというのが現実のようです。
ですがその一方で踏切が何十年も前から形態が変わらず、高架化による立体交差にでもしないと踏切が抱える危険の根本的解決にはなりません。また高架化や検知装置の設置は交通量の多い都心部の踏切から優先して行われ、今回事故の起きた鉄道は今後何十年が経過しても今と同じまま、子どもの進入を防ぐことができない危険な形態のまま残るのでしょう。
さて踏切の形態を見ればすぐにわかることですが、踏切により遮断されるのは一般道路の方であって、踏切が開いているときには線路側が閉まるというようなことはありません。ところが遊園地のミニ電車の踏切などでは、踏切が開いているときには線路側の備えられた扉が閉まっているものがあります。子どもが多い遊園地ならではの措置ではあると思うのですが、踏切には本来こうした通行者への配慮が必要なのではないでしょうか。
鉄道マンにしてみれば、わざわざ線路上に列車の進行を阻害する障害物を設置するという発想はあり得ないものなのかもしれません。ですが原野に線路を敷く時代の鉄道ならいざ知らず、現在作られる鉄道と言えば高架鉄道か地下鉄といった最初から分離したものか、逆に自動車が増えすぎた道路に自動車に変わる交通手段として作られた路面電車といったものです。有事の兵員輸送手段を確保するために海沿いの鉄道は艦砲射撃の影響を受けないように配慮されて敷設されたように、今残る鉄道の多くは一種過去の遺産と言えるような、古の発想で作られたものです。それを現在も利用し続けていくうえでは、今の時代の安全性を盛り込んで改善していかねばならないと思います。そして踏切から線路内への立ち入りを防ぐ扉といったものは、交通量や通過列車が多い都会ではなく、むしろ数えるほどにしか列車が通過しない地方の鉄道施設にこそより必要なものであると思います。