ekiden_racer2008-03-19

【判決の骨子】

  • (1)被告を無期懲役に処する
  • (2)長女の殺意や、男児殺害時の刑事責任能力はあった
  • (3)凶悪かつ卑劣で、責任は極めて重大
  • (4)衝動的で計画性は認められない
  • (5)死刑も考えられるが、贖罪に全生涯をささげるのが相当

情状酌量に疑問】
これまで裁判は法律のプロに任せておけば良かったのですが、裁判員制度が導入されることが決まっていてそうも言っていられない時代がもうすぐ目の前に迫っています。今回の事件で死刑でなく無期懲役という判決が下されたことで、裁判はとても難しく本当に我々市民がそこに参加できるのだろうかという疑問を強く感じます。
裁判長の判決を乱暴に理解すると、死刑に相当する事件である(2,3)が叙情酌量の余地(4)があり、無期懲役が相当である(5)、ということになると思います。その叙情酌量という部分のさじ加減が全くもって理解できないのです。法律で定められている正当防衛や止むに止まれぬ理由など殺人事件を起こさざるを得ないと誰にでも理解できるような事情が叙情酌量とされるのならともかく、計画性がなく衝動的な殺人であることがなぜ叙情酌量の対象となるのかが判りません。
【初動捜査の躓きが事件に影響】
畠山鈴香被告が彩香さんを橋の上から突き落としたにも関わらず、遺体となって発見されてから秋田県警は事件性のない事故として扱いました。この初動捜査のミスが結果的に第二の事件(豪憲君殺害)を引き起こしたと私は考えています。従って、豪憲君殺害事件の責任を畠山鈴香被告一人に負わせるのは酷であると叙情酌量するのなら判ります。
【記憶抑制】
また事実認定に際して、綾香さんを殺害したことを、事件の二日後には自らの記憶抑制により事実を思い出せない状態になっており、「記憶を保ちつつ連続殺人を行った場合に比べ、被告の悪質性は多少なりとも減じられることも否定できない」というのも乱暴すぎると思います。計画的であろうとなかろうと、また比類なき残虐性があろうとなかろうと、また先の事件について記憶があろうとなかろうと、起こした事件の凶悪さや卑劣さには違いはないと思います。
【厳罰化に対する抵抗姿勢】
計画的でなくても、これまでにも長女を疎ましく思い殺意を持って突き落としたという残虐性に違いはないと思いますし、長女を自ら殺害したことを自らの意思で忘れるという身勝手さ、さらに事故と扱われた長女の死に捜査の目を向けさせるために別の子どもを殺害するというのは比類なき残虐さのなせる業としか考えられません。だとすると今回の判決は、厳罰化や死刑判決の濫用に対する裁判官自身の意見判決や抵抗姿勢ではないかとさえ思えてきます。
判決文の中で仮釈放について触れ、「被告の性格の改善が容易でないことに十分留意するよう希望する」と慎重な運用を求めています。死刑は回避するけれども安易に仮釈放されても困る、といった意味かと思います。また無期懲役でも模範囚なら15年程度で仮釈放されていることを念頭に置いたものと思いますが、死刑か実質懲役15年かということになれば、死刑判決を出すことに躊躇してしまうのもやむを得ないのかもしれません。

【経緯】

  • 2006.4.9 秋田県藤里町の大沢橋から長女彩香さん(9)を藤琴川に突き落として殺害
  • 2006.4.10 秋田県能代市の藤琴川で彩香さんの遺体発見
  • 2006.5.17 自宅玄関で米山豪憲くん(7)を腰紐で絞殺、米代川河岸に遺体を遺棄
  • 2006.5.18 米山豪憲君の遺体をジョギング中の男性が発見、秋田県警が殺人事件として捜査本部を設置
  • 2006.6.5 畠山鈴香容疑者を米山豪憲君の死体遺棄の疑いで逮捕
  • 2006.6.25 畠山鈴香容疑者を米山豪憲君の殺害容疑で再逮捕
  • 2006.7.18 畠山鈴香容疑者を畠山彩香さん殺害容疑で再逮捕、秋田地検が米山豪憲君殺害容疑で起訴
  • 2006.8.9 畠山鈴香容疑者を畠山彩香さん殺害容疑で追起訴
  • 2007.9.12 秋田地裁で畠山鈴香被告の殺人・死体遺棄容疑の初公判
  • 2008.3.19 秋田地裁で畠山鈴香被告に無期懲役判決、弁護・検察双方が控訴

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