御柱祭死傷事故

ekiden_racer2010-05-11

【今年の御柱祭では2件3人の死亡事故が発生】
長野県にある諏訪大社で7年に一度の式年祭にあたる今年、千曲市古大穴神社下諏訪町諏訪大社下社春宮で境内に御柱を建てる建御柱で死傷事故が発生しました。古大穴神社の事故は建てていた御柱が倒れて4人が下敷きになり、1人が死亡、3人が重軽傷を負い、諏訪大社春宮の事故では立てている最中の御柱が揺れたはずみで乗っていた氏子3人が落下、2人が死亡し落下したワイヤが当たった1人を含む2人が軽傷を負いました。
諏訪の御柱祭御柱が坂を豪快に下り降りる木落としで全国的に知られ、1968年以降6人の死者と31人の重傷者が出るなど「危険な祭」としても知られています。
古大穴神社の転倒事故】
古大穴神社の事故は4月11日午後7時頃発生しました。この時刻には既に日が落ちて夜になっていました。言うまでもなく暗い中で長さ10メートル・直径30センチ、重さ2トンの柱を立てるのは危険な作業であり、本来はもっと早い時刻に柱を立てる予定だったのかもしれません。それに加えて現場では小雨が降っていました。
二本目の柱には4本のロープが掛けられ、総勢100人ほどの氏子が四方からロープを引っ張って柱を立てます。地面には柱を立てるための深さ1.2メートルの穴が掘られ、柱の根元は足場板に導かれて穴の中に落ちる手筈になっていました。ところがロープを引いて柱を立て始めたところ、根元が足場板から離れてしまい、うまく穴に落ちませんでした。根元が穴から外れた状態で立った柱を、どうにか穴に導こうと作業を進めている時、4本のロープの内一本が柱から外れてしまいます。残った3本のロープと長梯子でさらに作業を進めていた時、柱がバランスを崩して倒れ、4人が巻き込まれてしまいました。
古大穴神社の建て御柱は柱の上方から4本のロープを出し、地面の四方からロープを引っ張る方法で柱を立てます。この場合ロープには柱を引き起こす役割と柱のバランスを取る役割が担わされることになります。もっとも柱の根元が穴に落ちさえすればロープは専ら柱を引き起こすだけで良いのですが、クレーンを使用したり櫓を組んで滑車で上から引き起こす方法よりは危険であるように思われます。また万が一の際に備えて馬を柱の周囲に噛ませることで、事故を小さく抑えることができたかもしれません。
諏訪大社春宮の転落事故】
諏訪大社春宮の事故は5月8日午後5時頃発生しました。古大穴神社の建御柱には人は乗っていませんが、諏訪大社の建御柱には「建て方」と呼ばれる氏子が乗り、御幣(おんべ)を振って指揮を執ります。諏訪大社春宮の事故は柱が揺れた際、「建て方」が柱の上から転落するというものでした。柱の長さは約17メートルに及び、柱がほぼ垂直に立った状態から石畳に落下したのですからたまりません。「建て方」は柱に巻きつけたロープを持ち、さらに足腰を御柱に固定します。さらに命綱を着用するよう事前に申し合わせてあったようですが、落下した3人は命綱をつけていませんでした。
柱がほぼ垂直に立った時、太さ1.2センチの金属製のワイヤーが切れ、留め金部分から外れて柱が揺れました。これが3人が落下した直接の原因でしたが、3人は命綱をつけていなかったことで転落を防ぐことができませんでした。落下して死亡したのは柱の先頭と3番目に乗っていた人でした。2番目の人も振り落とされたのですが、うまく綱かワイヤーをつかむことができ、そろそろと地面に降りることができ、軽傷で済みました。また切れて落下したワイヤーが当たった人も軽傷を負いました。
死亡事故が起きてからも建御柱は命綱の装着を徹底するなどの安全策を確認したうえで翌日からも続けられました。何故、安全策の徹底、中でも「建て方」の命綱の装着を徹底できなかったのでしょうか。今年は諏訪の御柱に先駆けた古大穴神社で死亡事故が起きたこともあり、安全への意識は高まっていた筈です。その一方で御柱祭は危険な祭であるといった危険を甘受する素地が油断を生んだのかもしれません。建御柱御柱祭のフィナーレとなる行事であり、木落とし、川越えといった危険な行事が済んだことで山を越えたという安堵感もあったかもしれません。また事故が起きた時刻は午後5時頃でしたが、予定では午後4時には御柱は春宮に到着していることになっていましたから、予定より遅延していました。自分の安全は自分で守ることが当然であり、建て方が自分の判断で命綱を装着すべきであったことは言うまでもありませんが、そうした中でも建御柱の責任者が、建て方が命綱を全員装着しないと作業はスタートしないという厳格な態度を取っていれば防げた筈の事故でした。諏訪大社の氏子の皆さんが、末社での事故を他山の石とせず、諏訪大社で事故が起きてはじめて自らを律する気になったのだとすれば残念なことです。