昨年の十月、京都田辺ボーイズという名門リトルリーグチームで、試合に負けたペナルティとしてのしごきが原因で、将来を有望視されていた中学二年生の男子が死亡するという事件がありました。私は記憶していないのですが、或いは良くある運動中の事故として聞き流してしまっていたのかもしれません。
 今にして思えば、朝からの試合で負けたペナルティとして、過剰な運動を強いられるということが行き過ぎであることは言うまでもありません。事実、この事件を重視した少年野球連盟は、同チームの解散とチームの責任者の連盟からの追放という重い処分を課しています。その一方で、警察はゲーム中の事故として当事者の責任を追及する姿勢を見せていなかったのですが、十二月、死亡した男子の両親がチームの総監督を業務上過失致死で告訴しました。
 六三歳の総監督にしてみれば、そうした指導はこれまでずっと行なってきたものであり、たまたま体調を崩して死亡に至ってしまったという事故が起きたために、チームの解散と自身の追放という処分を蒙ったという思いしかなく、運が悪かったというくらいにしか思っていないのではないでしょうか。かつて読売ジャイアンツの湯口選手が死亡した際も、当時の監督の口からむしろ球団の方が迷惑しているという話が漏れたことがありますが、それに近い思いがあったのではないかと思います。実際に京都田辺ボーイズはジャイアンツの内海投手やマリーンズの今江選手などのプロ選手を輩出している、全国大会の常連でもあった名門チームであり、総監督は押しも押されぬ名指導者として、多くの尊敬を集めていたのです。そして男子を亡くした両親も、総監督を告訴するにあたっては随分と葛藤があったようです。けれどもチームの指導者として死亡事故が起きた事に対する刑事責任が問われないでいることには疑問が消えなかったのでしょうし、また総監督からの謝罪がなかったことも告訴を後押ししたのではないかと思います。
 総監督としては死亡は事故であり、チームの解散やリトル球界からの追放など、既に十分に重い責任を負っているという意識があり、また自分の指導法に対して疑問がないのであれば、「残念だ」というお悔やみの言葉はあっても両親に対して謝罪をしないこともむしろ当然のことのようにも思われます。ですがその総監督が死亡事故が起きた指導を行なったのは自分であるという認識を持ち、それまで行なってきた指導法に疑問を抱き、また遺族である両親に篤いお詫びをきちんと行なっていれば、この「事故」について改めて刑事責任を問われたり法廷に持ち込まれることはなかったのではないかというようにも思います。野球というゲームの大切さ以上に人の命が大切だという当たり前の気持ちを、その総監督が持てなかったことはとても哀しいことです。