日航パイロットの藤田日出男さんの書かれた「隠された証言−日航123便墜落事故」という本があります(新潮社2003/新潮文庫2006)。この本では

  1. 事故直後の墜落現場情報が錯綜したこと
  2. 事故調査委員会は起きていない急減圧を事故原因としていること
  3. 事故調査に関わった元運輸省の職員から内部資料提供の内部告発があったこと

が中心に述べられています。
日航123便墜落事故は1985年8月12日、垂直尾翼に異常が発生したボーイング747SR機が群馬県御巣鷹山の尾根(正確には高天原山の尾根)に墜落、乗員乗客524名中520人が死亡、4人が重傷を負った日本航空史上最大、世界でも単独機事故では最大の事故です。
航空事故調査委員によると、同機は1978年に伊丹空港でしりもち事故を起こし、その際のボーイング社による圧力隔壁の修理が不十分であったために金属疲労が進行し、圧力隔壁の破壊により与圧された客室の空気が油圧操縦システムや垂直尾翼が破壊したとされています。
ところが生存者の証言には急減圧の兆候はなく、事故調による急減圧の根拠にも疑問が持たれています。事故調の事故原因究明過程は1.垂直尾翼を内部から破壊する空気圧を実験により求め、2.それに必要な客室の与圧空気が漏れ出るために2平方メートルの穴が空いたものと推測したに過ぎません。事故調の事故原因特定がこのように不十分なのは、駿河湾の海底に沈んだと思われる破壊された垂直尾翼の大部分が回収されていないからです。駿河湾の水深は300メートル前後であり、どうして事故調査委員会が積極的に回収調査に乗り出さないのか大いに疑問です。
調査への疑問は1998年に出版された「大事故の予兆をさぐる」(宮城雅子著/講談社ブルーバックス)でも既に出されています。同著で垂直尾翼が未回収であることの他に、520人の死因が全て「墜落による即死またはそれに近い状態」とされていることを批判し、事故発生時の人命の安全・生存製の向上のために詳細な死因究明が行われるべきだと指摘しています。
ただし遺体の身元確認捜査を指揮した群馬県警刑事官(当時)飯塚訓さんの著書「墜落遺体」(1998講談社/2001講談社α文庫)を読むと、群馬県警の検視班229人、遺体確認班168人、群馬県警察医会医師151人、ほかに日本赤十字社の協力を以ってしても班員・医師の不眠不休の作業による身元確認が精一杯で、それ以上の死因究明などとてもできる体制が取られていないことが良く判ります。検察庁の依頼による司法解剖が5体、機長・副機長・航空機関士・アシスタントパーサーと一名の乗客に対して行われたに過ぎません。